日々の音色とことば

usual tones and words

サカナクションのニューシングル『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』について。


『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』【初回限定盤】(CD-EXTRA)『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』【初回限定盤】(CD-EXTRA)
(2011/07/20)
サカナクション

商品詳細を見る

When we became indifferent to stay up all through the night.2011,Tokyo

サカナクションのニューシングル『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』のインナースリーブ1ページ目とCDの盤面には、この文字が大きく記されている。「indifferent」は「無関心、不感症、無頓着」という意味。訳すならば、「僕らが夜通し起きていることに無関心になった時に。2011年、東京」。という意味だろうか。

なるほど、と思った。雑誌のインタヴューなどで山口一郎がたびたび語っている通り、新作は今という時代を強く意識したシングルである。“バッハの旋律を夜に聴いたせいです。”と“years”という二つの曲が相互に補いあい、震災以降の日本に広がる空気がそこに切り取られている。そして、歌詞の言葉でもインタヴューなどでも一切触れられていないけれど、そのキーワードになるのが「indifferent」=「無関心」なのだろう。

“バッハの旋律を夜に聴いたせいです。”という曲は、曲名が一つのキャッチコピーになっている。真ん中に欠落したピースがあって、それが人を惹きつける仕組みになっている。簡単に言うと、「何が(バッハの旋律を夜に聴いたせいなの)?」という問いが生まれる、ということ。そしてサビでは〈バッハの旋律を夜に聴いたせいです こんな心〉と繰り返される。「こんな心」という言葉に、聴き手がそれに自分なりの不安の正体を当てはめることができる。そういう意味で、中心に明確な旗印としてのメッセージを掲げている“アイデンティティ”などとは違う構造の曲になっている。

そして一方で、“Years”というカップリングの曲がある。パッケージでは、黒い紙の裏側に手書きの歌詞が印刷され、まるで手紙のように折りたたまれている。それは、こんな歌い出しで始まる。

〈僕たちは薄い布だ 折り目のないただの布だ/陰は染まらず通りすぎて行き 悲しみも濡れるだけですぐ乾くんだ〉

山口一郎は“バッハの旋律を夜に聴いたせいです。”を「恋愛や仕事や人間関係や、誰もが目の前に抱えてる悩みを歌った曲」、“Years”を「時代が抱えてる不安を書いた曲」と語った。じゃあ“布”は時代の何を表現したメタファーなのか。それはきっとソーシャル・メディア以降に大きく変化したコミュニケーションのあり方、そこに表れた心性のことだろう。そしてそれは、震災以降の数ヶ月でさらに明確に顕在化したものでもある。「誰ともつながることができる」という昂揚感と、すさまじいスピードで感情すらも消費されていく切迫感。一人一人がメディアになることができるという全能感と、人の生き死にすらコンテンツになるという恐怖。その背中合わせの両面を“繋ぎ合わせて帆を張り風を受けることのできる布”“悲しみすらすぐ乾く布”というメタファーで表現している。

そう捉えると、ソーシャル・メディアが加速する「分断」にどう向き合っていくかという意識も、この歌詞からは読み取ることができる。

〈この先に待ち受けてる時代のハサミは/多分この帆を切り刻みバラバラにするけど/また繋ぎ合わせるから その時には/君のことを思い出しても許してくれるかい?〉

おそらくここで、「繋ぎ合わせた帆を切り刻みバラバラにするもの」が「無関心」なのだろう。震災後に顕在化した「誰しもが自分の見たいものしか見ない」こと(それは“バッハ〜”のモチーフの一つでもある)、そしてレッテルの貼り合いと不寛容が生み出す混沌のことを指し示しているのではないだろうか。

『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』の2曲で歌われているのは、受け手が簡単に自分を重ね合わせることのできるような、安っぽい「希望」ではない。人を勇気づけたり鼓舞したり癒したりするような類のものではない。むしろ極めてパーソナルな「覚悟」に近いものなんじゃないか、と思う。