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書評『ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること』

ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていることネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること
(2010/07/23)
ニコラス・G・カー

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"本、新聞、テレビ番組、ラジオ番組、レコード、CDのなかに、知識や文化の未来はもはやない。"

"ウェブを検索するときわれわれは森を見ない。木さえ見ていない。枝や葉を見ているのだ。"


ずっと読もうと思っていたニコラス・G・カーの『ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること』を、ようやく読んだ。すごく共感することの多い本だった。

ブログやニュースサイトを読み、twitterの新着をチェックし、メールに返信し……と、インターネットから情報を得ていると、素早く、マルチタスク的に情報を処理する能力は飛躍的に拡大する。仕事においてもプライベートにおいても「チェックする」情報の量は膨大に膨れ上がり、それを断片的にかつ高速に消費していく。その流れは最早覆すことはできない。

しかしその一方で、インターネットに長く触れていると、「熟慮する」「深く感じ入る」ということが、どんどん出来なくなってくる。長い本を読んだり、音楽や絵や映画をゆっくりと堪能したり、そういうことが以前に比べて難しくなってくる。一つのことに集中できなくなる。

これは僕自身が日々感じている実感でもあるし、きっとネットに触れている人なら同じように感じる人も多いだろう。(たとえば、テレビでサッカーを観戦しながら感想や実況をtwitterで呟いたり他人の呟きを読んいる人は、単にテレビを見てるよりも、倍以上の情報を同時的に処理しているわけだ。で、それに慣れてしまうと、ただテレビを見ていることが“手持ち無沙汰”に感じるようになる。)

この本には、そういう変化が何故起こったのか、西洋の歴史と最新の脳科学を踏まえて、丁寧に書かれている。それは、インターネットに触れていることで、脳のあり方が変容しているからなのだという。処理速度とマルチタスキング能力は格段に向上しているが、その一方で集中力が減退している。そういうことを、科学的な知見を交えて書いている。

原題では、それを象徴する言葉として『shallows』(=浅瀬)という言葉がタイトルに冠せられている。それを考えると、『ネット・バカ』という翻訳版のタイトルは、本当にひどい。内容を象徴しているどころか、むしろある種の「釣り」として、皮肉にも同書が警鐘する作用をもたらしているすらと言える。書名だけ見て「ああ、よくあるネット批判本ね。前にも出てたでしょ。ウェブはバカと暇人のもの、とか」とだけ思ってスルーする、とか。それこそが「浅瀬」的な受け取り方だというのにね。

というわけで、この本に書いてあることは、去年からずっと僕が感じ、考えていた「情報の処理速度の向上」と「断片化」ということと深くリンクする内容だった。

音楽についても多く書かれており、深く首肯ける内容だった。

音楽アルバムは分割され、それぞれの曲がiTUNESで売られたり、Spotifyを通してストリーム配信されたりしている。
曲自体も断片に分割され、曲のリフやフックが着メロとして販売されたり、ビデオゲームで用いられている。エコノミストがコンテンツの「バラ売り」と呼ぶこの現象について、語るべきことは多い。バラ売りによって購入の際の選択肢は増え、不必要なものを購入することがなくなる。
だがバラ売りは、ウェブの促進するメディア消費パターンの変化がいかなるものかを示し、またその変化を促進するものでもある。
エコノミストのタイラー・コーエンが述べるように、「(情報に)アクセスすることが容易である場合、短く、感じが良く、断片的なものが好まれる傾向がある」のだ。

"録音された演奏をどう聴くかだけでなく、ライヴ演奏をどう聴くかとうことをもネットは変化させつつある。劇場やその他のライヴ会場に強力なモバイル・コンピュータを持っていくとき、われわれは同時に、ウェブにアクセス可能なあらゆるコミュニケーション・ツールや、ソーシャル・ネットワーク・ツールを持ち込んでいる。"