東北地方太平洋沖地震で被災されたみなさまに心からお見舞い申し上げます。
一人でも多くの人の無事を、心から祈ります。
地震が起きた時は、世田谷の自宅で原稿を執筆していました。
思わず立っていられないほどの揺れでしたが、
冷静になって見回してみると、部屋の変化は
姿見やPCモニタが倒れたのと積み重ねていた本やCDが崩れたくらいでした。
その後、家族を迎えにいき、帰ってきたら早朝5時。
翌日は泥のように眠り、昼頃に起きてテレビをつけ、被害の甚大さにようやく気付きました。
テレビで繰り返し報じられる悲惨な映像を見ていると心が削り取られそうになりますが、
twitterが身近な連絡手段のライフラインとして機能したこと、
そこに一人一人の人達の祈りの言葉が行き交っていることに、勇気づけられる気がしました。
佐野元春さんが、本日3月13日、オフィシャルサイトのトップページで「それを『希望』と名づけよう」と題した詩を公開しています。とても感銘を受けたので、引用しつつ紹介させていただきます。
それを「希望」と名づけよう
佐野元春
街が揺れた夜、君はひとり無断で、
市営プールに潜りこみ、身体を水に浸したそして暗がりの中、瞑想した
人は時に、光に水に、雨に風に、感謝し、
人は時に、光に水に、雨に風に、屈服するこの闇の向こうに震えるのは
誰か、嘆きの声同胞の不在は確かに不可解だ
それはそうだ
しかしどうだろう君は偽善の涙など流さないと誓ってくれ
決まりきったお悔やみなど無用だと言ってくれ夜が明けて、そこにいつもどおりの太陽が照り、
草木は首をもたげ、
鳥たちは空を往くあぁ、美しくも残酷なクリシェ!
一方で、
君の身体の細胞ひとつひとつに染みいる光はどうだ
傷だらけではあるが依然雄々しいその筋肉はどうだそうさ、君は同胞の不在を気にかけているんだろうが、
たとえば、
偶然にも生き残った君の生を讃えてみてはどうだ?
たとえば、
生き残ったことへの幸運を噛みしめてみてはどうだ?不謹慎だとわめく偽善者を後に残し
君が光を放つことで、友を弔うんだそれを「希望」と名づけていいんだよ
余震は続く
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2011年 誕生日に寄せて
佐野元春
30年間、音楽と言葉の力で、鮮やかに状況へと対峙してきた佐野元春さんの挟持を感じます。