■R.I.Pと言えない
ツイッターで訃報を知ることが多くなった。僕の知っている誰かが、誰かの死を僕に伝える。たとえば昭和の名優。つい最近までテレビの中で活躍していたタレント。数々の名曲を残した偉大なるミュージシャン。映画監督。いろんな人の死が、情報として流れていく。そこには、たいてい、こんな言葉が添えられている。
「R.I.P」
R.I.Pって何だろう。レスト・イン・ピース。安らかに眠れ。日本人らしい言い回しにするなら「冥福を祈ります」。僕も、この3文字を加えて誰かの逝去のニュースをリツイートしたことがあった。でも、ふと立ち止まって考える。僕は、本当にその人に対して「安らかに眠れ」と心から思ったのだろうか? 誰かの死を、コンテンツとして消費するために、この3文字を付け加えただけではなかったのだろうか?
死はコンテンツとして消費される。
それは一つの揺るがしがたい現実だ。そのことに文句を言っても始まらない。メディアに関わる一人の人間として、それは熟知している。利用してすらいる。たとえば、今年2月にはホイットニー・ヒューストンが亡くなった。「好きだった」。「残念です」。「ありがとう」。いろんな人が追悼のコメントを表明する。同時に企画が動く。メディアで特集が組まれ、ベスト盤がリリースされる。沢山の人の感情が一つの波となり、それは当然、商売にもなる。死はコンテンツとして消費される。マイケル・ジャクソンにしても、カート・コバーンにしても、そう。
それでも、もう一度、立ち止まる。祈る、とは何だろう。どういうことだろう?
僕は想像する。暖かい場所で、もしくは涼しい場所で。ふかふかのソファーとか、太陽の匂いのする毛布とか、眩しいプールサイドとか、とにかく心地よいところで。その人の好きなものに囲まれて。心配事も、心残りも、淋しさもなく、じんわりと幸せで満たされて。公園でハシャいで遊びながらきゃっきゃと笑う子供たちみたいに。祈るとは「心から願う」ということで、そうするためには想像力のリソースが必要で、たった3文字の言葉でそれを立ち上げることは僕にはできない。
僕はまだ30代の半ばだが、やはりこの年齢になってくると、避けられない別れもいくつか経験するようになった。突然の報せに呆然とすることもあった。家族を失うことも、同年代の友人を失うこともあった。正直、すぐに「冥福を祈る」気持ちになんてなれなかった。
そういうときは、まず混乱するし、胸を抉られたような気持ちになる。自分の中に手を突っ込まれて、ぐいと無理やり掴まれて、何かを持っていかれたような感覚になる。怒りにも、嘆きにも似た、とにかく理不尽な感情が沸き上がってきて、それをぶつける先もなくて、大音量のハウリングを起こしたマイクとスピーカーみたいに高音域のフィードバックノイズが頭の中にぐるぐると鳴り響く。
そうしているうちに、時間がすぎ、日常の仕事や暮らしが戻ってきて、ふぅと落ち着く。奔流が去って、水位が少しずつ下がって、ようやく、僕は祈ることができる。懐かしさとともに、思い出すことができる。
GREAT3、9年ぶりの新作アルバムに収録されている “彼岸”を、僕はそういう「祈り」の歌として、聴いた。
■片寄明人と志村正彦
“彼岸”について、ソングライターの片寄明人は、オフィシャルサイトでこう語っている。
「彼岸」の直接的なテーマは、結果的に活動休止タイミングと重なってしまったデビュー前からのGREAT3マネージャー突然の逝去から始まり、この約7年間に両手では数え切れないほど自分の身に起きた、大切な友人達との別れです。そしてそのいくつかの哀しみは白根賢一とも共有してきたものでした。ラブソングと言っても、この世を去っていった人達へのラブソングです。こういった繊細なテーマを曲として描くことに躊躇がないと言えば嘘になります。僕の中では未だに答えが出ていません。
そして、この曲の歌詞は、彼にとってGREAT3というバンドを再び始動させる動機をそのままストレートに書いたものでもあった。今年5月、彼はこうコメントしている。
GREAT3として2012年夏から、もう一度活動を再開します。
この数年間は自分にとって本当に色んな物事を深く考えさせられた日々でした。価値観が大きく変わろうとしている時代の空気、大自然への畏れ、何人もの友人が突然にこの世から旅立って行く、そして時には自分よりも年若い友人たちの突然の逝去に、心をむしり取られるような思いを抱えながらそれを見送る。そんな30代までの自分には想像もつかなかった経験を経て辿り着いたのは、たとえ明日死んでも後悔しないように、いま生かされていることに感謝して、この瞬間を生き切るしかないという心境でした。「自分の命には限りがある」という当たり前の事実と生まれて初めて真剣に対峙したときに、僕はGREAT3をやっていないことを最期の時に後悔するであろうことにも気がつけたのだと思います。
彼の言う「自分よりも年若い友人たちの突然の逝去」のうちの一人に、2009年末に世を去ったフジファブリックの志村正彦が含まれていることを知っている人は少なくないだろう。彼との出会い、そしてメジャーデビュー、四季盤と称した4枚のシングル、そしてメジャー1stアルバム『フジファブリック』のプロデュースを手掛けたときの経緯。彼がブラジル音楽をこよなく愛していたこと、アビーロードでのレコーディング、名曲“銀河”が生まれるまでの葛藤。片寄明人から見た志村正彦への思いが、計10回に渡って、ブログに綴られている。
http://gg-m.jp/blog/katayoseakito/2010/07/-1.php
志村くんには、僕も何度か取材させてもらったことがあった。当時はまだ溜池山王にあったEMIの会議室で、もしくは事務所のSMAの会議室で。シングル『Surfer King』のときは、池ノ上の駅前の喫茶店だった記憶がある。何度も作品について話を交わしてきたはずなのに、片寄さんの視点を通して見たフジファブリックというバンドと志村正彦という人は、全然僕の知らないものだった。ブログの文章は、志村正彦というミュージシャンの音楽センスの豊穣さと繊細な内面を、改めて深く感じさせてくれるテクストだった。
■泣き疲れたその後に
泣き疲れた / その後に / 僕がどうやって / 歩き出すのか
それを見守ってる / 近くて遠くから
心で / 今も / 君を感じてる
“彼岸”の歌詞には、こういう言葉が綴られている。片寄明人という人が過ごしたここ数年の物語を思うと、この曲が、決意の歌であり、覚悟の歌であることは、とても強く伝わってくる。祈ることが、失われたものに思いを馳せることが、この地に踏みとどまり、再び歩き出す力になるということを綴った歌だ。
そしてアルバム『GREAT3』には、もう一つ、祈ること、歩くことについて歌った“綱渡り”という曲がある。(矛盾する表現になるが)静謐な荒波というものを、そのまま具現化したような曲。
昔の自分だったら / 落ち込んで泣いてるだけ
崖っぷちを歩いてる / 日々 / 死ぬまで綱渡り参道から戻り / もう一度生まれる
そんなたわいもない / 幻想に / 救われる日もある
憂鬱が来る前に / 鼻歌でも歌って / 帰りたいんだ死ぬまで綱渡り
「死ぬ気になれば何でもできるよ」なんて、言う人がいる。たとえばJ-POPの世界には、「背中を押してくれる」応援歌という類のジャンルがある。勇気が出るような、気力がわくような言葉は、世の中に沢山溢れている。
でも、残念ながら今の僕には、その類の言葉にリアリティを感じることができない。少し疲れているのかもしれないけど。
そのかわり「死ぬまで綱渡り」と、小さく口ずさむ。そのことで、少しだけ奮い立つ気持ちになる。
GREAT3 (2012/11/21) GREAT3 商品詳細を見る |