日々の音色とことば

usual tones and words

砂を噛むような無力感と、それでも2012年が「始まり」の年になる直感について

2007年、僕は当時の音楽雑誌に「終わりの始まり」というテーマで原稿を書いた。

このブログを始めたのはちょうど2008年のはじめのことで、その時に強く感じたことが、記録として残っている。

「終わりの始まりのあとに(1)」
http://shiba710.blog34.fc2.com/blog-entry-3.html
「終わりの始まりのあとに(2)」
http://shiba710.blog34.fc2.com/blog-entry-4.html

そこで僕は「パッケージメディアとしての音楽に金を払う人間は、まるで潮が引くように減少し続けている」と、書いた。5年前のこと。ちょうどDL違法化への動きが進んでいた頃だった。

そこで言及させてもらった元の記事「「終わりの始まり」―― 音楽業界の2007年と2008年」には、以下のようにある。


とにかくいくつもの忘年会でいろんな音楽業界の人間と話をしてきた。

流通、メジャー、インディー、マネージメント、小売、媒体など、それぞれポジションは違うが、みんな総じて「あきらめムード」である。

自嘲自虐なギャグもすべりぎみで、舐めあうには深すぎる傷を負っている。


2007年がどんな年だったか。音楽業界にとってはいよいよ冬の時代の本格到来である。

一昨年より去年の方が悪く、去年より今年の方が明らかに悪い。

冬の時代の到来、なんて書くとそのうち春が来そうだが、実際はそんなことはないだろう。

たまたま日の陰った不況というよりは、もっと構造的な問題、本質的な問題なような気がする。

だから本当は「死期を悟った」とでも書いたほうがいいかもしれない。

あるいは「終わりの始まり」とでも。


5年前に書かれた文章は、当時のムードが強く反映されている。

振り返ってみれば、00年代中盤にはCCCDと輸入権の問題があった。そしてレディオヘッドが『イン・レインボウズ』を自由価格でDL配信したのがこの2007年だった。僕はそれを受けて「終わりの始まり」というテーマで原稿を書いた。


でも、あの時に書いたことは半分間違っていた。2007年は「終わりの始まり」ではなく「始まり」だった。

2007年に「始まった」ものをあげてみようと思う。

・iPhone。最初のiPhoneが披露されたのは、2007年1月9日に開催されたアップル製品の展示会でのこと。

・USTREAM。一般向けベータ版のサービスが開始されたのは、2007年3月のこと。

・ニコニコ動画。前年12月に実験サービスとして始まっていたが、本格的に『ニコニコ動画(β)』としてサービス開始されたのが2007年1月15日のこと。

・ボーカロイド。クリプトン・フューチャー・メディアから「初音ミク」が発売されたのが2007年8月のこと。

・ナタリー。日本の音楽ニュースサイトの代名詞的な存在になった「ナタリー」が開設されたのが2007年2月のこと。

・soundcloud。今では数多くの有名アーティストがアカウントを持つ音楽の共有サービスがベルリンで創業されたのが、2007年8月。


2012年の今の音楽ファンにとって「当たり前」になっている沢山のことが、ほんの数年前には存在していなかった。もう少しさかのぼると、YouTubeが「始まった」のは2005年のこと。そしてtwitterが2006年。YouTubeもツイッターも、最初はなんだかよくわからない「遊び場」のようなものだった。それが今では情報のプラットフォームになり、インフラになっている。


そして2012年の今を思う。


2007年に議論されていたダウンロード違法化は、ついに刑罰化されることになった。僕も音楽業界で仕事させてもらっている身なので、コンテンツ産業を守ろうという意識、アーティストの権利を守ろうという意識に異論は全くない。現場で音楽をもっと面白いものにしようと、音楽好きを増やそうと頑張っているミュージシャンやスタッフの人たちも沢山知っているし、そういう人にきっちりと利益がいくような仕組みも、あってしかるべきだと思っている。

でも、やっぱり、僕が強く思っていることは「音楽はコミュニケーションそのものだ」ということ。もちろん音源をヘッドフォンで聴くのは個人的な行為かもしれないけれど、いい音楽を聴いたら、それをシェアしたくなる。人に薦めたくなる。「いいね」という共感を得たくなる。僕自身、その気持ちは、10代の頃も、今も、変わっていない。音楽ファンが根源的に持っているそのコミュニケーション欲求自体が阻害されうる可能性を持っているのが、ダウンロードの違法化、そして刑罰化だと思っている。

「違法ダウンロード刑罰化への津田大介氏の国会参考人発言を書き起こしました」
http://www.akiyan.com/blog/archives/2012/06/tsuda-daisuke-view-for-illegal-download.html

今回の刑事罰化で、じゃあ音楽業界が、CDがたくさん売れるようになるかと言ったら、多分ならないです。下がっていくと思います。

当然、刑事罰になったらみんな萎縮します。ただ、音楽をダウンロードするユーザーはまず総会屋ではないということと、プラスですね、結局萎縮することは同じなんですよね。萎縮したら何をやるのかというと、買わなくなるだけなんですよね、単純に。

僕の見立ても、上記の津田さんの発言に近い。ちなみに、久保利弁護士はユーザーを総会屋に喩えていたようだ。

「市場を公正なものに」「CDが売れるようにはならない」──著作権法改正案、参院で参考人質疑 (1/3) - ITmedia ニュース
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1206/19/news089.html
上記の記事で、久保利弁護士は「刑事罰をもってダウンロードまで規制しないともう日本のコンテンツビジネスはもたないのではないか」と語っている。「ダウンロード刑罰化によってユーザーが萎縮して音楽から離れていく」という危機感に対して、久保利弁護士は「なにを萎縮するのか。違法行為をしないように萎縮するのであれば、それは抑止なのではないか。それで音楽から離れていくなら仕方がない、正規品も欲しくない、CDも欲しくないという音楽しか作ってないのなら仕方ないだろう」と語ったという。

この言葉には、本当に暗澹たる思いになった。これはつまり、コンテンツビジネスを保護する立場の人間が、ユーザーを犯罪者予備軍としてしか見ていないということだ。そしてこれは、実際にCDを買ってほしいと思い、価値があると思って現場で音楽を作っているミュージシャンの心意気を踏みにじる言葉でもあると思う。端的に言って、ユーザーのことをここまで敵扱いする商売が成功すると思う人の気がしれない。

佐久間正英さんが書いた「音楽家が音楽を諦める時」という記事も注目を集めた。
http://masahidesakuma.net/2012/06/post-5.html
いろんな人が、いろんな風にこの記事を読んだ。

そういう、ここ最近の様々なニュースと風潮に、再び「終わりの始まり」だなあ、と感じている。沢山のことに、砂を噛むような無力感をおぼえる。悲観的な物言いばかりが目について、呪詛のような言葉すら聴こえる。


でも、僕は2007年のことを思い出す。
あの時も「終わりの始まり」だと感じていたということは、きっと2012年も何か突拍子もない新しいことが始まる年なんじゃないか、5年後に「当たり前」になっているものが生まれるんじゃないか、という期待がある。もちろん何が生まれるかはわからない。僕が持っているのは直感でしかない。でも、なんとなく、最初は誰もが「遊び場」だとしか思っていないような突拍子もないところから、次のプラットフォームが生まれてくるんじゃないかと思う。

そして、もう一つの大事なキーは、いくつかの決済サービスが、この2012年に生まれているということ。これについてはまたいずれ書こうと思う。

上記の書き起こしで津田大介さんは「対案は文化予算を増やすこと。これしかない」と語っている。もちろん政治的な意図も含めた発言だろう。そう考えればあの場所でああ言うのは最適解だろう。しかし、音楽業界やコンテンツ産業の未来を切り拓くアイディアが「予算を増やすこと」しかないなんて、そんなくだらない話なわけがないという気がする。もっと根本的な、前提をひっくり返すようなワクワクする変化の予感がある。そして何より、現場では「いい音楽」が日々生まれている。

というわけで。

とりあえず、僕は「衰退」にはベットしない。