日々の音色とことば

usual tones and words

tofubeatsと森高千里と、imoutoidと死と音楽

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LIVE SET FOR 20141217

LIVE SET FOR 20141217

  • 森高千里 with tofubeats
  • J-Pop
  • provided courtesy of iTunes

 

tofubeats with 森高千里のスペシャルライブに行ってきました。

渋谷WOMBで行われた「Don’t Stop the Music “First Album” Special Night」。今夏のサマーソニックに続いてのコラボステージ。素晴らしかったです。ほんと最高な組み合わせだと思う。

ライブセットは二人の曲を交互にやっていくような展開(iTunesでも配信リリースされています)。「手をたたこう」とか「ララサンシャイン」とか「気分爽快」とか、森高千里の名曲の数々がtofubeatsのビートによって新しく蘇る。そして「水星」とか「ディスコの神様」とか、tofubeatsの代表曲が森高千里の声で彩られる。ドラムンベース仕様にチューンナップされた「ストレス」はテンションあがるし、「私がオバさんになっても」を歌う森高千里さんはびっくりするほどキュートだった。

でも、いちばんグッと来たのは最後の2曲の流れだったのだよ。「朝が来るまで終わる事の無いダンスを」「Don’t Stop The Music」という、同じモチーフを持った二つの曲。それを森高千里が歌うことで、すごくエモーショナルな物語を勝手に感じ取っていたのだ。
 

というのも、実は「朝が来るまで〜」という曲には一つの背景があったから。あの曲は風営法にまつわるメッセージソングでもなんでもなくて、とてもパーソナルな、大事な思いを元にできたものだった。僕が取材を担当した『新しい音楽とことば』という単行本の中のインタビューで彼がそのことを語ってくれた。以下引用。
  

――「朝が来るまで終わる事の無いダンスを」という曲は、クラブで踊ってる風景が頭にあったんでしょうか。

 そうとも取れますよね。ただ、あんまり言いたくない話ではあるんですけど、あの曲は、あんまり人に死んでほしくないっていう曲なんですよ。

――というのは、どういう意味で?

 あの曲は、実は友達のためにつくった曲なんです。imoutoid君が死んで、その後に、Maltine Recordsのコンピレーション『MP3 KILLED THE CD STAR?』(一〇年)を出すことになって。本当はそのコンピのトリをimoutoid君に任せるつもりだったけど、そうもいかなくなって。それでつくった曲なんです。だから風営法が話題になる二、三年前ぐらいにあった曲だった。

 でも、そのことを言うのは嫌だったんですね。imoutoidが死んだからこの曲ができたなんて、嫌らしいじゃないですか。僕としては、そういう売り方をするのが嫌なんですよ。レンジが狭まってしまうから。

――なるほど。この本を読んでる人には名前を知らない人もいるだろうと思うので改めて訊こうと思うんですが、imoutoid君という人は、tofubeatsという人にとってどういう存在だったんですか?

 天才ですね。自分より天才だと思います。そういう人が、同い年で関西に住んでいた。僕は彼は絶対にメジャー・デビューして売れると思ってました。でも、二〇〇九年、僕が大学一年生の頃に彼が亡くなっちゃったんです。

 しかも一緒にリミックス・アルバムの仕事してる時に亡くなったんですよ。「あれ?」って感じじゃないですか。その次の年にも友達が死んじゃうんです。そういうことがあって、地震もあって、無常感が増幅されていったというのもありますね。

――でも、そうやってつくった曲が違う解釈をされてきたわけですね。

 そう。もともと比喩として書いていた歌詞なんですよ。でも、今はもうその曲がいろんな風に解釈されるようになったから、あえて言えるようになった。

――とはいえ、作り手の考えていたことと違う解釈をされるのがポップスであるわけで。

 そうですよね。だからそれは俺が望んだことでもあると思うんですけれど。

 

 

新しい音楽とことば (SPACE SHOWER BOOKs)

新しい音楽とことば (SPACE SHOWER BOOKs)

 

 

  「朝が来るまで終わる事の無いダンスを」の歌詞はたった四行。最初のフレーズがあって、そのあとはずっと同じフレーズを繰り返す。

 

ああ 夜が来て町に闇が降るよ
誰も居ない電車で見た景色を
朝が来るまで終わる事無いダンスを
朝が来るまで終わる事無い音楽を

 

彼が語ったことをもとに想起すると、とても素朴なダンス・アンセムに思えたこの曲の裏側の意味が浮かび上がってくる。ここに描かれている「夜」は、享楽のパーティーではなくて、喪失の悲しみに満ちた時間だ。だからこそ「終わる事無い音楽」を願う。

あるいは、逆に「夜」を人生、「朝」を死と読み替えることもできる。明けることのない夜がないように、誰にだっていずれ死は訪れる。でも、せめてその時が来るまでは「終わる事無い音楽」を願う。

つまり、永遠に続くものなんて何もない、でも、だからこそ――。というのが「朝が来るまで終わる事の無いダンスを」という曲の描いているものだ。そして、そこからノンストップで「Don’t Stop The Music」につながっていく。まるでアンサーソングのように森高千里が歌う。

 

逃げちゃいたいことたくさんあるけど 少しやってみよう
音楽が聞こえるとき 気持ちはいくつになっても変わらない

忘れたいことたくさんあるけど uh どうしようもないね
音楽が聞こえるとき 気持ちはいくつになっても変わらない 

 

二つの曲は同じことを歌っている。でも、実は対照的な意味合いをそこから読み取ることができる。「朝が来るまで終わる事の無いダンスを」が喪失ならば、「Don’t Stop The Music」は再生。つまり、肉体はいつか失われてしまう。でも、いくつになっても、何度だって気持ちは甦ることができる、ということだ。

 

ついでに言うなら、この曲は森高千里「私がオバさんになっても」へのアンサーでもある。20年以上前に彼女はこんな風に歌っている。

 

私がオバさんになっても 本当に変わらない? 

 

ポップミュージックが流れるのはたった3〜4分間のことで、それはまるで一瞬のようなもの。でも、だからこそそこには時を超えて変わらないものが封じ込められる。

 

そんなふうに考えると、すごくグッとくるよね。

 

 


tofubeats - Don't Stop The Music feat.森高千里 ...