サム・フェンダーの「Dead Boys」という曲がすごくいい。
UKはノースシールズ出身の24歳のシンガーソングライター。ほんとは1月16日に初の来日公演がある予定だったんだけど、キャンセルになっちゃった。残念。「BBC Sound of 2018」にノミネートされたり、先月に発表された「Brit Awards 2019」の批評家賞に輝いたり、つまりはUKの次の時代を担うと目されているシンガーソングライター。なので日本でもサム・スミスとかエド・シーランくらいちゃんと売れてほしいと願ってる。
憂いを含んだ声、ポストパンクっぽい切迫感を匂わせるビート、切ないリリシズムを湛えたメロディセンスと、いろんな系譜を感じさせるシンガーソングライターなんだけれど、とりあえず、そのことは置いておいて。
彼が昨年11月にリリースした「Dead Boys」という曲の歌詞が、とても興味深い。というのも、これ、「男らしさという毒」についての曲。それが男性を追い詰め自殺に追い込んでいるということを描いた歌なのである。
英語では「Toxic Masculinity」という言葉。彼の歌はそういう文脈で広まっている。たとえばNY TIMESにはこんな記事がある。
NMEにはこんなインタビューもある。
邦訳のページはこちら。
サム・フェンダー自身はこんな風に語っている。
「これは男性の自殺、特に僕の故郷での男性の自殺についての曲なんだ」
「それが原因で非常に近い友人を何人か亡くしていてね。この曲はそこからできた曲で、それ以来ずっといろんな人に聴いてもらいたくて演奏してきたんだ。この曲が対話を引き起こすのを見て、どれだけ現在進行系の問題なのか実感したよ。この国のいろんな場所で話してきた全員が誰かを失う体験に繋がりがあるんだよね」
「この曲はどれだけ大きな問題なのか、僕の目を開かせてくれたんだ。この曲が誰かに届いて、その人が連絡をとって語り合わなきゃと思ってくれたら、成功だよね」
サム・フェンダーが歌っていることは、「me too」や「times up」という運動で始まったムーブメントの先で「男性の生きづらさ」が改めて掘り起こされつつある、という今の時代の風潮とリンクしていると思う。
つまり「なぜ男は勝者で暴力的で支配的でなければ”男”とみなされないのか」という問いだ。
たとえば世界中で大きな話題を巻き起こしているジレットのCMがある。
このCMの冒頭にも「Toxic Masculinity」という言葉が出てくる。
そして、公開されたばかりのCMには賛否両論が巻き起こっている。
コマーシャルは今週、ソーシャルメディアの公式アカウントで公開された。1分48秒の映像は、いじめやセクハラの例から始まり、乱暴な少年たちが「男の子だから」と容認される場面などが続く。
そこへ「もう笑い飛ばしたり、同じ言い訳を繰り返したりしているわけにはいかない」とナレーションが入り、#MeToo運動がもたらした変化が紹介される。最後に男性たちがけんかを止めたり、子どもを守ろうと立ち上がったりする姿と、それを見つめる少年たちのまなざしが映し出される。
ジレットのチームは全米の男性たちから意見を聴くなど独自の調査を重ね、専門家の助言を受けながらコマーシャルを制作したという。
しかしユーチューブやツイッターには、「侮辱的だ」「フェミニストの宣伝工作だ」と反発するコメントが殺到した。
一方で、こうした反応は逆に、意識改革を促す運動がいかに必要とされているかを示す指標になるとの意見も寄せられた。
このCMに「侮辱的だ」という反発が巻き起こること自体が、ひとつの「男らしさという毒」なのだと思う。ジェーン・スーさんがこうコメントしてるけれど、僕も同感。
ジレットのCMを見て憤慨し、ボイコットまでする男性がいることについては考えないといけないと思うんだよな。子どもの頃から常に勝負に晒されて、先に降りたら負けだって社会規範を押し付けられてきた人たち。明確な理由もないのに拒絶したくなることこそが、否応なしに刷り込まれた社会規範だよ。
— ジェーン・スー@「生きるとか死ぬとか父親とか」 (@janesu112) January 16, 2019
CMでは「Boys will be boys」という言葉が繰り返される。否定的な文脈で。「もう止めよう」という文脈で。「男はいつまで経っても”男の子”だから」。それは社会の中で多くの男たちにとって免罪符として機能してきた一方、呪いの言葉でもあったはず。サム・フェンダー「Dead boys」はそういうことについての歌でもある。
We close our eyes
Learn our pain
Nobody ever could explain
All the dead boys in our hometown
日本では田中俊之さんが「男性学」という言葉を提唱して「男の生きづらさ」を掘り起こしている。
この先「Toxic Masculinity」という言葉が、社会とエンタテインメントをつなぐ線において、一つの重要なキーワードになる気がしている。
「Time's Up」、すなわち「時間切れ」「もう終わりにしよう」という運動は、ある程度は広まってきた。でも、それって、単に「これからはセクシャルハラスメントをしないようにしましょうね」というムーブメントではないと思うのだ。
むしろそれは、「新しい”男らしさ”を規定しよう」というポップカルチャーの表現に結びつくはずだと思ってる。特に、義務や規則や規範ではなく、格好良さ、すなわち「何がクールか」というロールモデルを提示することによって人々の価値観を変え社会を変えていくことができるのは、ファッションと音楽の得意分野だ。
この先、“男らしさの毒(Toxic Masculinity)”の解毒剤となるような表現が求められているという気がする。そして、サム・フェンダーはUKだけれど、もちろんちゃんとUSからそれに呼応するような潮流はあらわれている。本当に変わるべきだし、そして現在進行系で変わりつつあるのは90年代から00年代にかけて、長らくその「男らしさ」を規定してきたUSのラップ・ミュージックの価値観であるように思う。
もちろん、このあたりの話は現在進行形で進んでいて、ドキュメンタリー番組『サバイビング・R.ケリー』とそれが巻き起こしている大きな反響ともつながっている話。
たぶん、もう少し時間はかかるだろうけれど、いろんなものが同時進行で進んでいくはず。