「ここまで来て、自分がやりたいことをしない人生を送ることは嫌だったんだ。それに、これがもっと多くの人にとって、扉を開くことになると思った」
7月5日。リル・ナズ・Xは、BBCのニュース番組『BBC Breakfast』に出演し、「自分はゲイだ」と告げた。そして、カミングアウトの真意をそう語った。
2019年上半期、ヒットチャートの頂点に君臨し続けたのは彼だった。デビュー曲「Old Town Road」が全米13週連続1位(7月5日時点)と空前の大ヒットを記録し、まさにスターダムを駆け上がったさなかの発言だ。世界中でセンセーションを巻き起こし、子供たちにまで熱狂的な支持を広めつつある一方で、「一発屋」と揶揄するような声も増えてきたタイミングでもある。慣れないはずのテレビ出演の場で、しかし、そんな風に語る彼の表情は、どこか落ち着いて理知的に見えた。
リル・ナズ・Xとは何者か? そして、どのようにして彼はブレイクを果たしたのか。
彼は現在20歳、アトランタ出身の新鋭ラッパーだ。とは言っても昨年まではまったくの無名な存在だった。現地のライブハウスやクラブで叩き上げのキャリアを積んできたわけでも、大物プロデューサーやラッパーの後ろ盾があってデビューしたわけでもない。自作の曲をネットに発表している、大学をドロップアウトした一人の若者に過ぎなかった。
昨年12月、彼はナイン・インチ・ネイルズの「34 Ghosts IV」をサンプリングした「Old Town Road」を自主レーベルから発表する。
火がついたきっかけはTikTokだった。
最初は彼の周囲から、そして徐々にアメリカの若者たちのあいだでこの曲をBGMにテンガロンハットを被ったカントリー・スタイルに変身する「Yeehaw Challenge」という動画が流行りはじめた。そのバイラルヒットがストリーミングサービスでの再生回数に結びつき、今年3月にヒットチャートに初登場した。
トラップのスタイルを踏襲しつつ、バンジョーのフレーズや、カウボーイをモチーフにしたリリックは、あきらかにカントリーの音楽性をイメージさせるものだった。西部劇の世界を描いたゲーム『Red Dead Redemption2』の映像を用いたミュージックビデオの世界観もそうだろう。そうした背景もあり、この曲は「R&B/ヒップホップ」と「カントリー」の両チャートに登場する。その後、米ビルボードが「カントリー要素が十分ではない」とカントリーチャートから一時除外したことも物議をかもした。
風向きを変えたのが、マイリー・サイラスの父親でもあるベテランカントリー歌手のビリー・レイ・サイラスだった。4月には彼がフィーチャリングに参加した同曲のリミックス・バージョンを発表し、一連の経緯が話題を呼んだこともあって本格的なブレイクに至る。4月9日にはついに全米1位となり「カントリー・ラップ」という新たなジャンルが大々的に喧伝されることとなった。
その後も「Old Town Road」は異例のヒットを続けている。テイラー・スウィフトや、ポスト・マローンや、エド・シーラン&ジャスティン・ビーバーなど、数々の大物アーティストの新曲を押しのけ、連続で全米チャート1位を記録している。その勢いはとどまることなく、おそらく2019年最大のヒット曲となることは確実だろう。
発端はインターネットミームだが、思わず口ずさんでしまうメロディや親しみやすい歌声、ジャンルを越境するセンスといった、彼の音楽家としての才能も間違いなくヒットの背景になっているはずだ。
それを証明したのが6月21日にリリースされた初のEP『7』だ。
そもそも、今年3月になってからソニー傘下のコロムビア・レコードと契約した彼にとって、まともな環境でレコーディングされた初めての作品でもある。そこにはニルヴァーナの「In Bloom」のメロディを引用した「Panini」や、フィーチャリングにカーディ・Bを迎え印象的なギターリフと共に西部劇のモチーフをふんだんに用いた「Rodeo」など、一曲だけでは伺い知ることのできない彼の作風が刻み込まれていた。
EP『7』を聴いて印象的だったのは、ロックのテイストが予想以上に強いこと。ブリンク 182のトラヴィス・バーカーが制作に参加した「F9mily (You & Me)」も、グランジなギターとエイトビートのドラムに乗せて歌う「Bring U Down」も、かなりストレートなロック・ナンバーだ。
そして、中でも重要な一曲が、「C7osure (You Like)」だった。
彼はLGBTプライドマンスでもある6月の終わりに、「じっくり耳を傾けてほしい」とレインボーマークの絵文字と共にこの曲のミュージックビデオをツイートしている。歌詞では「もう嘘を演じてはいられない」とある。
そのツイートの意図を問われたときに、彼が答えたのが、冒頭の言葉だった。
「カントリーやヒップホップのコミュニティは、ゲイを受け入れていない」と彼は続けている。その後沢山の誹謗中傷を受けたことも、それに対してジョークで返していることも語っていた。
繰り返すが、彼は、まだ20歳だ。
リル・ナズ・Xのアーティストのキャリアがこの先どうなるかはわからない。ひょっとしたらワン・ヒット・ワンダーで終わるかもしれない。
それでも、僕は、20歳の彼のことを「幼い」とはまったく思わない。もっと幼い同世代や年上の大人たちは沢山いる。
「私たちは、もっとできる。憎しみよりも愛を。しゃべることよりも、耳を傾けることを」
「世界をより良い場所にするのは私たち全員の責任だ」
7月10日。女子サッカー史上最多となる4度目のワールドカップ優勝を成し遂げたアメリカチームの主将をつとめたミーガン・ラピノー選手は、凱旋パレードと表彰セレモニーの場でそう語った。場所はニューヨーク市庁舎前。場は祝福のムードに包まれていた。
「私たちのチームには、いろんな人たちがいる」と彼女は言った。
「ピンクの髪や紫の髪の人も、タトゥーをしている人も、ドレッドヘアも、白人も、黒人も、そのほかの人種の人も。ストレートも、ゲイも」と。ピンクのショートヘアがトレードマークの彼女も、同性愛者であることを公言している。
歓声にわく人たちを見て、僕は、初めてニューヨークを訪れた8年前のことを思い出していた。
2011年12月。ニューヨーク市庁舎から遠くない場所にあるズコッティ公園は、閑散としていた。
そこは「オキュパイ・ウォールストリート」の舞台だった。その年の9月頃から、金融機関や大企業、富裕層に対する抗議の意志を込めたデモは自然発生的に広まっていった。「我々は99%だ」という声がソーシャルメディアを介して一つのミームとなっていた。
しかし、11月には警察によって参加者が排除され数十人が逮捕された。寒空の広がる12月には、もう熱気は終息していた。公園の周囲には黄色いテープが張られ、一体感と高揚感はそこになく、祭りのあとのようなムードが漂っていた。
当時、とある原稿に、僕はこんなことを書いた。
「大人というのは、時に抑圧や束縛として機能する社会のルールを『まあそういうもんだよね』と受け止め、次の世代にそれを受け渡す役目を持った人間のことを指す」
ある種の諦念と共に、でも、それが世の真実なのだと思っていた。
しかし、時代は変わった。
もちろん変わってないこともたくさんある。
それでも、今だったら「時に抑圧や束縛として機能する社会のルールを『まあそういうもんだよね』と受け止め、次の世代にそれを受け渡す人間」のことを、僕は「大人」だとは思わない。あえて言葉にするなら、それは「無能」か「無責任」だと思う。
「馬を走らせよう、行けるところまで行こう」と、リル・ナズ・Xは歌っている。
(初出:タワーレコード40周年サイト「音は世につれ」2019年7月19日 公開)