終末は近い。
そんな気分は、いつの世でも、どこかしらかにはある。べつのいい方をすれば、人類の歴史は、破滅や悲劇的な結末の話で満ちあふれてきた。
イギリスの科学ジャーナリスト、アローク・ジャーの著した『人類滅亡ハンドブック』には、こんな一説がある。
宗教家や預言者や賢者たちは、繰り返し、さまざまな災厄を予言してきた。空から降り注ぐ炎。すべてを押し流す巨大な波。超越的な力をもって生命を消滅させる邪悪な存在。数々の滅亡の物語が紡がれてきた。
そのモチーフは決して古代や中世だけの話だけじゃなく、現在のポップカルチャーにも引き継がれている。たとえば今年4月に公開され世界中で記録的な興行収益を実現している映画『アベンジャーズ/エンドゲーム』には、指をパチンと鳴らすだけで全宇宙の生命の半分を消滅させてしまう最凶の敵、サノスが登場する。
しかし、アローク・ジャーは、こんな風に続ける。
こうした宗教による「炎と灰の物語」は、お話としては上出来だし、適度に危機感をあおる役にも立っている。しかし、現実にくらべると、つくられた破滅の物語は独創性という点ですっかり色あせてしまう。科学のレンズを通して見たほうが、終末は、はるかにミステリアスで興味深くなるのだ。
というわけで、今回は、ポップ・ミュージックと滅亡や終末論にまつわる〈予感〉の話。というのも、志磨遼平率いるドレスコーズが今年5月、2年ぶりにリリースした新作アルバム『ジャズ』が、まさにそういったテーマを描いた傑作なのである。
アルバムは、ロマ(ジプシー)ミュージックの要素を大きく取り入れ、それを現代的にアップデートした音楽性を軸にした一枚。どことなく哀愁漂う曲調には、「世界最速のジプシー・ブラス・バンド」と呼ばれるファンファーレ・チョカリーアやザック・コンドン率いるベイルートと相通じるテイストもある。
ただ、その中で僕が惹かれてやまないのは、アルバムの中では若干異色なヒップホップ・ナンバー「もろびとほろびて」。XXXテンタシオンやポスト・マローンを思わせるダークでチルなトラックに乗せて、志磨遼平はこんな風に歌う。
500年続いた人間至上主義を いっかい おひらきにしよう
核兵器じゃなくて 天変地異じゃなくて
倫理観と道徳が ほろびる理由なんてさ
ここで志磨遼平が歌っていることは、まさにアローク・ジャーが『人類滅亡ハンドブック』で書いたことと通じ合っている。
それだけじゃなくて、たとえばジェームズ・ブライドルが『ニュー・ダーク・エイジ テクノロジーと未来についての10の考察』で書いていること、ユヴァル・ノア・ハラリが『サピエンス全史』や『ホモ・デウス』で書いていること、ティモシー・モートンが『自然なきエコロジー 来たるべき環境哲学に向けて』で書いていること、ケヴィン・ケリーが『テクニウム』で書いていることとも、リンクしている。
どういうことか。
ある世代以上の人ならきっと思い当たると思うのだけれど、みんなが「ノストラダムスの大予言」を心のどこかで信じていた時代が、かつてあった。少なくとも僕はそうだった。1999年に恐怖の大王が空から訪れる。最終戦争か、それとも天変地異か、とにかく巨大で圧倒的なカタストロフがいつか僕らの世界を終わらせる。どこかでそんな風に思っていた。
でも、そうはならなかった。原発が爆発しても日常は続き、戦争はテロリズムとして各地に拡散した。そして、ハンス・ロスリングが『ファクトフルネス』で喝破したように、21世紀になって、世界は確実に、少しずつ良くなっていった。飢饉、疫病、戦争といった人類が数千年にわたって向き合ってきた問題は、徐々に解決に向かいつつある。
ただし、その一方で、かつての終末論のような壮大なカタストロフではなく、もっと目に見えない、しかし確実に我々の生活の中に浸透しているテクノロジーがもたらす「幸福な滅び」についての夢想が勃興しつつある。それが『人類滅亡ハンドブック』や『ニュー・ダーク・エイジ』、『ホモ・デウス』や『テクニウム』に通底する一つの世界観となっている。
テクノロジーは確実に人類に快適で便利な生活をもたらしている。21世紀になって訪れた爆発的な情報流通の増大と、ソーシャルメディアの浸透は、人々に新しい倫理観と道徳をもたらしている。「社会的動物」としての人間は否応なしにハイパー・ネットワークの端末となりつつある。
だとしたら、その先には何があるだろうか?
『サピエンス全史』の最終章「超ホモ・サピエンスの時代へ」には、こんな一説がある。
未来のテクノロジーの持つ真の可能性は、乗り物や武器だけではなく、感情や欲望も含めて、ホモ・サピエンスそのものを変えることなのだ。
ユヴァル・ノア・ハラリは、続いて著した『ホモ・デウス』でも、人類が不死と至福と神性を目指すようになるであろうと予測している。
一方で、ジェームズ・ブライドルは『ニュー・ダーク・エイジ』の中で、こう書いている。
今日、ふと気付くと私たちは、巨大な知の倉庫とつながってはいるが、考えることを学べてはいない。それどころか、その反対になっているというのが正しい。世界の蒙を啓こうと意図したことが、実際には世界を暗黒へと導いている。インターネットで入手できる、あり余るほどの情報と多数の世界観は、首尾一貫したリアリティを生み出せず、原理主義者の簡素な語り(ナラティブ)の主張と、陰謀論と、ポスト事実の政治とに引き裂かれている。この矛盾こそが、新たなる暗黒時代という着想の根源だ。
ここで書かれている「新たなる暗黒時代」というモチーフは、ヴァンパイア・ウィークエンドの新作アルバム『ファーザー・オブ・ザ・ブライド』に描かれた視点へのリンクも感じる。
『ファーザー・オブ・ザ・ブライド』は、今のアメリカのインディ・シーンを代表するバンドである彼らによる、5年ぶりの新作。そのオーガニックなサウンドと包容力あるメロディに、優しく穏やかなポジティビティを感じる人は多いと思う。
でも、歌っていることは、とても辛辣だ。社会に対しての痛烈な問題意識がその根底にある。
たとえば「ハーモニー・ホール」では、こんな風に歌われる。
怒りは声を欲する 声は歌を求める
歌い手たちはハーモニーを奏でる
他に何も聴こえなくなるまで
こんな風に生きたくはない でも死ぬのも嫌だ
この曲を聴いたときに僕が思い出したのが、伊藤計劃の傑作SF『ハーモニー』だった。
『ハーモニー』で描かれるのは、人類が病気を克服した世界だ。そこでは従来の政府に替わるグローバルな統治機構「生府」(ヴァイガメント)のもとで高度な医療福祉社会が築かれている。それを支えるのが「WatchMe」と呼ばれるナノマシンによる体内監視システムと、ネットワークを介してその健康情報が共有される医療システム。そこにおいては、人々の身体は公共のリソースとみなされる。誰もが他人を思いやり、健全で、平和で、摩擦のない、「優しさで息の詰まる」世界がそこにある。
志磨遼平が『ジャズ』で描いた終末論も、伊藤計劃『ハーモニー』の世界観と通じ合っている。《幸せな このままで おだやかな ほろびかた》と歌った「ニューエラ」のように、どこか安らかな調和を感じさせるものだ。
ちなみに、このアルバムは、5月1日、日本における新たな年号「令和」の幕開けとなった日にリリースされている。
日本政府は、外務省を通じて「令和」の意味は英語で「Beautiful Harmony」だと説明している。そのことを知ったときに、僕がまず思い浮かべたのが、ヴァンパイア・ウィークエンドの「ハーモニー・ホール」と伊藤計劃の『ハーモニー』だった。
美しき調和がもたらす、安らかな滅びの世界。そんな〈予感〉を奏でるポップ・ミュージックに、なんだか、惹かれてしまう自分がいる。
(初出:タワーレコード40周年サイト「音は世につれ」2019年6月8日 公開)