日々の音色とことば

usual tones and words

ターミナル/ストリーム

 

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ミームは呪術、アルゴリズムは魔術。


そのことに気付いている人は多いと思う。オカルティックな言葉を聞くと眉に唾をつけたくなるタイプの人でも、よくわからないこと、説明のつかないことが起きているという実感のようなものを持っている人はかなりいるんじゃないかと思う。


僕が勘付いたのは2019年頃のこと。ポップ・ミュージックの領域で仕事をしている人間なもんで、きっかけはやっぱりリル・ナズ・Xの「オールド・タウン・ロード」だった。全米シングル・チャート19週連続1位。歴代最長ナンバーワンとなったこの曲がなんでヒットしたのかを探る原稿を書いてるときのことだった。

 

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「TikTok発のヒット」みたいな、もっともらしい説明や能書きは調べれば確かに出てくる。カウボーイの格好をして踊るダンスチャレンジが流行ったとか、カントリーとラップを融合した曲調が斬新だったとか、カントリーチャートから除外されて物議を醸していたところに大御所ビリー・レイ・サイラスが乗っかったことで話題が広がったとか、ストーリーはいくらでも出てくる。でも、結局のところ、そのブームの最初の発火点を見つけようとすると不思議な煙にまかれてしまう。

 

楽曲は、リル・ナズ・Xがビート購入サイトを通じて当時19歳のオランダのトラックメイカー、ヤング・キオから30ドルで購入したビートにラップを乗せたもの。途中からメジャーレーベルのソニーが乗り出してきたが、最初は完全に自主配信。なんらかの予算を使った仕掛けのようなものは皆無。それでも巨大な現象を巻き起こすドミノの最初の一コマが倒れたわけだ。


もちろんミームが現象化するのはそれ以前にもあった。2016年にはピコ太郎の「PPAP」があったし、2013年にはPSYの「江南スタイル」があった。音楽以外で言うとアイス・バケツ・チャレンジが広がったのが2014年。僕はわりとそういうのを興味深く観察するほうで、いろいろ謎な現象が起こったらその尻尾を手繰り寄せるようなことを調べたりしていた。ソーシャルメディアとYouTubeがそれに起因しているということが可視化されたのが、ここ10年の動きだったと思う。

 

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「バイラル」とか「バズ」という単語が人々の口端に登るようになったのも2010年代に入ってからのこと。ひょっとしたら、マーケティング界隈の人はそれよりも前に使っていたのかな。でも、自分にとって目眩ましになっていたのは、当たり前に「バイラル」を「口コミ」の意味合いでイメージしていたことだった。辞書にもそうあるから油断していた。

 

goo国語辞書(デジタル大辞泉)で「バイラル」を検索するとこうある。

 

1 ウイルス性であること。「バイラルインフェクション(=ウイルス感染)」
2 口コミによるもの。「バイラルメディア」「バイラルマーケティング」

 viral(バイラル)の意味 - goo国語辞書

 

その類推で「バイラル」というものを捉えようとすると、「波紋」のようなイメージで考えることになる。最初に数人とか数十人の小さな、けれど感度が高くて熱量を持った人々の集まりがある。そういう人の間で評判になっていた最初の「バズ」を、周囲の数百人が話題として聞きつける。「踊ってみた」みたいにムーブメントに乗っかって、参加することがメディアになって、それが数千人、数万人と広がっていく。いわば同心円状にドミノ倒しが広がっていくイメージだ。


もちろんその見立てが間違ってるわけじゃない。ただ、ここ最近に起こっているバイラルのムーブメントを見ていくと、起こっていることはもっとカオス現象に近い気がする。非線形で、予測できない。バタフライ・エフェクトがそこら中で起こっているようなもので、まったくもって再現性がない。


その理由は、ここ数年、バイラルというのが、口コミだけではなく、むしろアルゴリズムによって強力に駆動するようになったからだと思う。たとえばYouTubeの関連動画。たとえばTikTokのタイムライン。アルゴリズムがやっていることは、ユーザー一人ひとりがその動画を最後まで観たかそれとも飛ばしたか、「評価」や「お気に入り」のマークをタップしたか、チャンネル登録したりフォローしたりしたか、その行動履歴をつぶさに分析して次のオススメを提示するということに過ぎない。基本的にはパーソナライズドされたレコメンデーションシステムなわけで、それがバイラルに寄与するとは考えにくい。


が、ポイントはアルゴリズムと人間との相互作用のフィードバックループが起きることにある。たとえば、最初はそのユーザー自身と嗜好や指向に基づいて判断していた「お気に入り」に、アルゴリズムによってもたらされたザイオンス効果(単純接触効果)が発火する。たとえば、ハッシュタグに乗っかってミームに参加することで感情の焦点が変化する。一人ひとりの行動がデータとして食われることで可視化されたトレンドが提示され、それによって行動が変容する。「口コミ」とは全く別の力学が「ミーム」として人を突き動かす。


どうやら、オンラインの世界ではすでに非科学的な領域に属することが物事を動かしているようだ。「充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない」とアーサー・C・クラークは言っていたけれど、それは僕が子供の頃に思い描いていたSF的な未来とは全く別の形で具現化している。

 

いつ頃からこんなふうになったのか。

 

たぶん、ターニングポイントは2017年だと思っている。

 

これも僕がこういう仕事をしているもんで、その考えに至ったきっかけは、竹内まりやの「Plastic Love」だった。これについても沢山原稿を書いたし、新聞記者に取材を受けてもっともらしいことを喋ったりもした。海外でシティポップがブームになっている。再評価されている。その背景にはインターネット発のムーブメント「ヴェイパーウェイヴ」と「フューチャー・ファンク」があるのだとか、あとはヨット・ロック以降のAOR再評価だとか、消費社会への郷愁だとか、ストーリーはいくらでも出てくる。でも、ちゃんと現象の端緒をたどっていくと2017年7月に「plasticlover」というユーザーが非公式に投稿したYouTubeの動画が2000万回以上も再生されたことに行き着く。

 

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そして、なんでその動画がいきなりそんな再生数を叩き出したのかについては、どれだけ調べても謎に包まれている。たとえばムーブメントの立役者でもある韓国のDJ・プロデューサーのNight Tempoも、海外を含めたいろんな人達も「沢山の人のYouTubeの関連動画のところにサジェクトされたから」という以上の理由はわからないという。


もっとわかりやすく言えばByteDance社がmusical.lyを買収し、TikTokのサービスをローンチしたのが2017年のことだ。いろんなことを振り返ると、やっぱりここが起点になっている。


TikTokの強みは機械学習のアルゴリズムにある。単なる「これを好きな人はこれも好き」という協調フィルタリングだけでなく、ユーザーの視聴行動を秒単位で分析することでレコメンデーションが強化されるような仕組みがある。僕が話を聞いたTikTokの中の人は、それを「ソーシャルグラフからコンテンツグラフへ」という言い方をしていた。つまりは従来のSNSのような友人や親しい間柄のつながりをもとにした関係に基づくリコメンデーション(=ソーシャルグラフ)ではなく、その人自身がどんなコンテンツを作り消費してきたかに基づくリコメンデーション(=コンテンツグラフ)が働いている、ということだ。なので、もともとフォロワー数が少ない人もアルゴリズムの波に乗ればミームを生むことができる、というプラットフォームになっている。


そうして2019年から2020年にかけては、東方Projectの同人CDをサンプリングした「Omae Wa Mou」が世界中でバイラルを巻き起こしていたり、2018年に公開されたお下品BLアニメ『ヤリチン☆ビッチ部』の主題歌「Touch You」が、なぜか2020年11月になって東南アジアからアメリカとイギリスにバイラルを巻き起こしたり、沢山の謎現象がTikTok経由で観測されるようになった。


僕はそのたびに首を捻っていたのだけれど、2020年代に入って痛感したのは、ひとたび何かが流行ってしまえば、世の中の人たちのほとんどはそれを「そういうもの」としてすんなり受け入れてしまう、ということだった。

 

自慢するわけじゃないけど、YOASOBIの「夜に駆ける」についての記事をメディアに書いたのは2020年1月のことで、たぶん僕はあの曲に最初に着目したうちの一人だと思う。瑛人の「香水」がチャートを駆け上がっていったときも、かなり初期から記事を作っていた自負がある。「うっせぇわ」についてもそうだ。

 

リル・ナズ・Xのときとは違って自分自身がムーブメントに寄与しているし、その当事者に取材して何が起こったのかをつぶさに聞くこともできた。だけど、やっぱり、何なのかわからない。これ以上は無理だ。そして、「そういうもの」でいいんだ。そう思い至ったのが、2020年を振り返った個人的な実感としては最も大きかった。


世界がウイルスによって一変してしまった2020年から2021年にかけても、僕はずっとバイラルのことを考えていた。そして今のところの結論は「どうやら世界は再魔術化しているんだ」ということ。

 

極端なことを言うと、アルゴリズムと人間が結託することで、最終的には人間から人間性が失われるかもしれない、という予感もある。ネットワークを介して常時接続し相互に情報を交換することで、人が群知能(=Swarm Intelligence)の端末の一つとなる未来が容易に予想できる。そして、こういう話をすると怖がったり眉をひそめたりする人も多いんだけれど、僕としては、基本的には楽観的なスタンスで物事を考えている。

 

というか、そういうことを「なんか怖い」と言うような人たちほど、いざ人間から人間性が失われようとしていくときに、きっとその状況を「そういうもの」としてすんなり受け入れるだろうという予感がある。

 

ミームは呪術、アルゴリズムは魔術。

 

(『ウィッチンケア第11号』に寄稿した文章に加筆修正しました)