日々の音色とことば

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『PLANETS vol.8』感想――未来は想像力が連れてくる

PLANETS vol.8

正月。久しぶりに実家に帰って、新聞を読んだ。

最近ではすっかりネット中心の情報収集のスタイルになってしまったのだけれど、お正月に届く分厚い新聞をじっくり読むの、好きなんだよね。ぎっしりとチラシが挟まってるのもあるけど、重さが、まずいい。内容も大局的な見通しが書いてあることが多い。「昨日起こったこと」じゃなくて「これから先のこと」が書いてある。特に僕が好きなのは、技術の進歩について解説したり未来予測をしたりしているところ。

だけど、今年は全然ピンとこなかった。「なんだこりゃ」と思ったよ。「わくわく 近づく」と見出しにはデカデカと書かれているんだけど、ちっともワクワクしなかった。

「おじいちゃんとかおばあちゃんが読者ターゲットなんだから仕方ないんじゃない?」

とも言われた。まあ、今の新聞は最早そういう面もあるとは思うけど、さすがにそれでも高齢者をバカにしすぎてると思ったし。何が違和感の原因だったんだろうか。ネットにも記事がUPされてたからリンク張っておこう(紙面にはイラストが描かれていて、そのテイストがまた絶妙だったんだけど、ネット版にはないみたい)

わくわく 近づく 〈未来の生活〉http://t.asahi.com/98w1

記事では、メガネ型の通信端末、クラウド翻訳、3Dテレビやヘッドマウントディスプレイ、遠隔操作ロボットなどの技術が紹介されている。それを使った「202X年の生活」の描写が軽いタッチで書かれているんだけど、なんていうのかな……そのリアリティがいちいち古いんだよね。昭和の時代の未来観の上に最新技術を無理やり上乗せしてる感じというか。“世間”を成り立たせている価値観のOSをアップデートせずに新しいデバイスだけ繋ごうとしてる感じというか……。

特にサムいと思ったのは以下のくだり。

リビングの壁いっぱいに設置した超大型3Dテレビに映し出された試合は、序盤から一進一退の攻防が続く。
 「ピッチ上の選手は想像を絶する緊張感だろうね」
 一緒にテレビ観戦していた高校時代のサッカー部のチームメートはそうつぶやいて、リモコンを操作した。
 スタンドのカメラがとらえた映像が一瞬にして切り替わる。現れたのは、まるでピッチの中にカメラを持ち込んだような超リアルな映像だった。

みる みせる 息のむ迫力ゾクゾクhttp://t.asahi.com/98w2

数年前の未来予測なら、納得がいく。『アバター』公開直後の、猫も杓子も3Dだったころとかね。でも、その後のブームの終焉で、大画面や立体映像の迫力が“リアル”を担保しないことは誰もが気付いていると思う。

というか、この描写からは、ツイッターのようなソーシャルメディアがテレビ視聴のスタイルをがらりと変え、ニコニコ動画やUSTREAMのような双方向性のメディアが当たり前のように普及してきたここ数年の流れが全く感じられない。スポーツの試合やライヴなど様々なコンテンツが(たとえば映画館やバーや競技場などで)ソーシャルビューイングされるようになったここ数年の流れからも、完全に目を背けている。たとえばサッカーにおいては走行距離やボールポゼッションやパス成功率など様々な要素がデータ化され可視化されるようになったことからも目を背けている。耳を塞いでいる。そんな今から十数年後の202X年に「高校時代の友達と二人、元日に自宅でリモコンを操作してテレビを見ながら“ピッチ上の選手は想像を絶する緊張感だろうね”などとぼんやり呟く」ことの、圧倒的な時代遅れ感!

この記事を書いた人、チェックして直したデスクの人がどれくらいの世代の人なのか知らないけど、たぶん本心では情報技術の発展がコミュニケーションのあり方や社会のあり方を徐々に変えてきていることを気づいてないか、もしくは内心苦々しく思ってたりするんじゃないかな。もしくは想像力が貧困なのか。

そういうことを思ったのは、ほぼ同じタイミングで読んだ「PLANETS vol8」のせいかもしれない。

「何か面白いことが起こっている」という感覚

「PLANETS vol8」は掛け値なしに面白かった。こっちはほんと、読んでてワクワクした。ソーシャルメディア、ゲーム、インターネット、都市論、ファッションなどなど、様々な話題を縦断しながら今の社会にどういうことが起こっているのかを解き明かすような本。そして、小手先じゃなく「未来の社会」について想像を巡らせ、それを連れてくるための価値観の変革を提言するような本。

この「PLANETS vol.8」の表紙には「僕たちは〈夜の世界〉を生きている」というサブタイトルがつけられている。パッと見ではこの言葉がちょっと違う意味合いにとられる可能性があるよな、とも思う。ぶっちゃけ、「夜の世界」という言葉を初めて聞いたときに、まず僕がイメージしたのは六本木や西麻布だった。キャバクラだったりホストだったり、いわゆる風俗的な領域。ただ、もちろん、この本で掲げられている〈夜の世界〉は、そういうことじゃない。特集「21世紀の〈原理〉――ソーシャルメディア・ゲーミフィケーション・拡張現実」の巻頭言から引用します。

現代日本を表現する言葉として「失われた20年」という言葉がある。日本は第二次世界大戦後の焼け野原から、もう一度、国を作り直し、そして1970年代の田中角栄の時代に社会や産業の基本システムがおおよその完成を見たと言われている。しかしこうした戦後的社会システムは、国内的にはバブル崩壊により、世界的には冷戦構造の終結により、あらゆる場所で機能しなくなりはじめている。
(中略)
僕たちはこの20年間、ずっと放置されてきた日本のOSを今こそアップデートしなければならない。そしてそのための手がかりは既にこの日本社会の内部にあふれている。それは「市民社会」(政治)や「ものづくり」(経済)といった、〈昼の世界〉には存在しない。少なくともこれまでは社会的には日の目を見ることのなかった〈夜の世界〉――ここ20年で奇形的な発展を見せたサブカルチャーやインターネットの世界にこそ存在する。僕たちは、そう信じているのだ。

ここで書かれている〈夜の世界〉とはサブカルチャーやインターネットの領域。その例として挙げられるのが、たとえばニコニコ動画やAKB48。たとえばLINEや食べログやソーシャルゲーム。これを成り立たせている「情報社会」と「日本的想像力」の可能性が、一冊のテーマになっている。

単なる情報社会と文化の批評だけではなく、巻末のほうの特集では荻上チキさんや開沼博さん、鈴木謙介さんなどが登場して原発についてのクリティカルな対談も載っている。萱野稔人さんが語る「国家のかたち」、國分功一郎さんの語る「消費社会」、安藤美冬さんが語る「ノマド以降」、古市憲寿さんが語る「若者論以降」の話も面白い。

ともあれ、カルチャー領域、「趣味」とか「余暇」とか思われている分野に巻き起こっている価値観とコミュニケーション方法のドラスティックな変化が、政治や経済の領域を塗り替えるという見立ては、個人的には全力で同意したい。僕がポップ・ミュージックを面白いなあと思う理由の一つも、そんなところがあるわけだし。

で、痛感したのは、要は想像力なんだよな、ということ。

たとえば、これからの社会の先行きについても、今の世間には「グローバル化で海外の安い労働力に仕事が奪われる」とか「人口減と少子高齢化でこれから大変だ」みたいな物言いが沢山、本当に沢山あって。その前提は間違ってないのかもしれないけど、有り体にいうなら「お先真っ暗だ」という気分にだけ乗っかって、想像力を働かせてない言説に思えてしまうんだよね。

まあ、今がいろんな意味で時代の転換期であるのは間違いないことだと思う。そういう時代に「この先はしんどい」とばかり真顔になって言っていると、本当に「しんどい」未来を引き寄せてしまうかもしれないよ?と思うわけです。たとえばシャッター通りの商店街とショッピングモールみたいに、既存の価値が崩落していくのと新しい価値が勃興しているのは表裏一体なわけで。そういう意味でも、たとえばこういう本の見立てを通して「今の日本に何か面白いことが起こっている」という感覚にワクワクすることは、すごく有意義なことだと思うんだよね。

ちなみに。これは別の話題につながるのかもしれないけれど、なんとなく、僕はこの先十数年後の世界には「終わらない文化祭前夜」のようなものが、今以上に沢山の人にとっての仕事になるような気がしています。

そのことについてはまたいずれ。