日々の音色とことば

usual tones and words

小さくて弱いもの、疎外されたもの、傷ついたものの側に立つスピッツの歌について

スピッツの『ひみつスタジオ』がすごくいい。

 

これまでのスピッツのアルバムの中で一番好きかもしれない。何度か聴き返して、どういうところが好きなのか改めてわかってきた。

 

ストリーミングチャートでヒットして新たな代表曲になりつつある「美しい鰭」とか、リード曲「ときめきpart1」とか、タイアップ曲も沢山入っているけれど、たぶん、アルバムの中で最も重要な楽曲は「オバケのロックバンド」。草野マサムネだけでなく、三輪テツヤ、田村明浩、崎山龍男と、メンバー全員が代わる代わる歌う一曲。奇抜なアイディアだけど、これ、“遊び”でも“企画モノ”でもなく、メンバー1人1人の自己紹介的なフレーズと、スピッツというバンドのアイデンティティを真正面から歌ったキーポイント的な曲だと僕は思う。

 

《子供のリアリティ 大人のファンタジー》

とか

《毒も癒しも 真心込めて》

とか、ほんとにそうだよな、と思う。

 

この曲から、そしてアルバムの全体的なトーンから「童心」がひとつのモチーフになっているということが伝わってくる。

 

なにより印象に残るのは、4人の音がわかりやすく伝わるアレンジになっているということ。「美しい鰭」とかシングル曲のサウンドプロダクションは丁寧にモダナイズされているけれど、アルバム収録曲の多くは4人のシンプルなバンドサウンドに徹している。たとえば「跳べ」は8ビートのパンクロックだし、たとえば「めぐりめぐって」は「♪ジャッジャッジャジャ〜」と揃ってキメるリフが見せ所になってる。これだけのキャリアを持つバンドの、17枚目のアルバムとはとても思えないくらい、「バンドで音を合わせること」の純粋な楽しさとか喜びみたいなものが伝わってくる。インタビューとかを読むとコロナ禍を経て久々に集まったことが背景にあるらしいけれど、それにしてもここまでピュアで無垢なトーンが鳴っているの、なかなかすごいと思う。

 

で、もうひとつは、ビジュアルやアートの象徴性。このアルバムのジャケットは画家・絵本作家のjunaidaさんが描いたロボットデザインを実物大に再現したものになっている。

 

ひみつスタジオ

 

で、アルバムと同日には全曲の歌詞をもとにjunaidaさんが描いた“歌画本”の『ひみつストレンジャー』が発売されている。これを読みながら聴くと、歌詞の解像度が数倍にあがって、ものすごく真に迫ったイメージが広がる。

 

ひみつストレンジャー


で、ここからが大事なこと。

 

『ひみつストレンジャー』を読みながら何度も聴き返して、改めて気付くことがあった。このアルバム、ほぼ全ての曲で、小さくて弱いもの、疎外されたもの、傷ついたもの、世の中の仕組みに馴染めないもののことを歌ってる。

 

いろんな曲の歌詞の描写は、世の中のすみっこの方から始まる。「大好物」の主人公は

《つまようじでつつくだけで壊れちゃいそうな部屋》

にいたし、「ときめきpart1」の主人公は

《誰も気に留めないような隙間にじっと隠れてた》

と描写される。「オバケのロックバンド」で草野マサムネが歌うラインは

《誰もが忘れてた物置き小屋の奥》

から始まる。

 

「手鞠」の歌詞もかなりグッとくる。多様な読みのできるラブソングになっている。

 

この曲のAメロでは

《常識を保つ細いロープで 身体のあちこち傷ついて
感動の空気から 逃れた日 群れに馴染めないと悟った
誰のことももう愛せないとか 決めつけていたのかも》

と歌われる。そしてサビでは

《可愛いね手鞠 新しい世界
弾むように踊る 君を見てる》

と、みずみずしいメロディで歌う。

 

もちろん解釈は聴き手の自由に開かれているし、当然LGBTQとかマイノリティとか、そういうことは一切明示されていないけれど、この曲はクィアな読み方をすることもできる。少なくとも“君”に出会う前のこの曲の主人公は、“常識”や“群れ”に苦しめられ、一人で人生を過ごすことを決めていた、という風にとれる。

 

で、そういう風に「小さくて弱いもの、疎外されたもの、傷ついたもの、世の中の仕組みに馴染めないものに寄り添う」立場で曲を聴いていくと、アルバムの曲で歌われていることに、ひとつの通底したメッセージを発見することができる。

 

アルバムのいくつかの曲には「自分が自分らしくいるために、常識や決まり事に抗うこと」がモチーフとして歌われている。みんなが思い込んでいること、社会の中で当然とされていることにあえて従わないことや、抗うことや、ひいては体制をひっくり返すことについて歌われている。

 

たとえば「跳べ」では

《暗示で刷り込まれてた 谷の向こう側へ 跳べ》

と歌われる。「美しい鰭」では

《抗おうか 美しい鰭で 壊れる夜もあったけれど 自分でいられるように》

と歌われる。

 

「未来未来」では

《1000年以上前から語り継いだ嘘が 人生の意味だって 信じて生きてきたが 勧善懲悪なら もう要らない》

と、「Sandie」では

《虎の威を借る トイソルジャーたちに さよならして 古ぼけた壁 どう壊そうかな》

と歌われる。

 

一人ひとりが自分らしく生きていけるために、か弱い、繊細な心を持つものが壊れてしまわないために、「古ぼけた壁」、つまり時代遅れになった社会の規範の方を壊して変えていくということについて、歌われている。そういう意味でも、このアルバムの本質は「パンク・ロックとしてのスピッツ」にある感じがする。

 

それに気付いてから「讃歌」を聴くと、すごく感動する。この歌もラブソング。そしてやっぱり、幻想的な描写を通して「小さくて弱いもの、疎外されたもの、傷ついたもの、世の中の仕組みに馴染めないもの」に寄り添う曲。

 

なにしろマイナーコードのストロークと共に

《枯れてしまいそうな根の先に 柔らかい水を染み込ませて
「生きよう」と真顔で囁いて》

と始まる曲だ。

《勇気が誰かに利用されたり 無垢な言葉で落ち込んだり
弱い魂と刷り込まれ》

と、傷ついた心を綴る言葉は

《だけどやがて変わり行くこと 新しい歌で洗い流す》

と続く。

 

今朝、僕は公園を犬を連れて散歩していた。子供たちが砂場で遊んでいて、そこに初夏の太陽の光がキラキラと降り注いていた。

 

その光景を眺めながら、ヘッドホンでこの曲を聴いていた。

 

クライマックスのところで、高らかなメロディに乗せて

《二人だけの小さな笑いすら 今は言える 永遠だと》

という言葉を歌っていて。そこを聴いた瞬間、なんだかこみ上げてくるものがあって、ちょっと泣いてしまった。その時に感じたことを覚えておきたくて、これを書いたのです。